SMAP vs.TOKIOの同門対決ついに実現?

いい夫婦から今度は仮面夫婦
テレビ朝日の開局50周年記念新春ドラマスペシャルとして三島由紀夫の『鹿鳴館』を田村正和・黒木瞳でドラマ化。

欧化政策を目指した明治時代、その舞台となった社交場の鹿鳴館でまきおこる愛と謀略を描く。外務大臣の影山伯爵(田村)は理想実現のために強引な策を行うため暗殺の噂が絶えない。伯爵夫人・朝子(黒木)は元芸者で華族夫人の中心的存在だが鹿鳴館の大舞踏会には決して参加しない。互いに過去のことに立ち入らず感情的になることもない夫婦を軸に、舞踏会襲撃をたくらむ活動家と伯爵の長男、その長男を愛する女性らの愛憎劇が展開される。

田村正和がTBSのホームドラマ『オヤジぃ』『夫婦』で共演した黒木瞳を指名したそうですが、いい夫婦だった前二作と異なり今度は仮面夫婦役。

共演に松田翔太、石原さとみ、橋爪功、柴田恭兵ら。

【関連リンク】
・テレビ朝日:『鹿鳴館』公式サイト

五朗だから『ファイブ』じゃなく
NHKが正月放送の特集ドラマとして、バスケットボールの国内最高峰のスーパーリーグを舞台にした『ファイブ』を岸谷五朗主演で制作。

ミスター・バスケットボールと呼ばれた佐山(岸谷五朗)だが、突然チームが解散。移籍先はひとくせあるベテラン選手ぞろい。とまどい、衝突しながらも新しいシーズンが開幕……

原作は平山讓のノンフィクションでモデルはアイシンシーホースの佐古賢一。ビッグコミック誌でもコミック化連載中。

共演に高島礼子、筧利夫、柳沢慎吾、相島一之、パパイヤ鈴木、田中要次、近藤公園、サムエル・ポップ、黄川田将也 渡辺いっけい 竜雷太ら。

脚本の君塚良一、『さよなら、小津先生』でもバスケットボールを扱った大のバスケ好きです。





HISで行く格安サイパン旅行

木村拓哉が日曜劇場に主演できない!?

木村拓哉が日曜劇場に主演できない!?
原因はあるある問題ビューティフルライフDVD さて、みなさんご存じの「あるある問題」。また『冗談じゃない!』公式サイトURLはhttp://の後は「tbs.co.jp/jo-dan2007/」で始まる前から『冗談じゃない!'08』をつくりたそうにしていましたが、放送してみると苦戦しており続編は難しそうです。そうなると「所属タレントが裏番組に出演することは避ける」んだから、裏のTBS系日曜劇場に主役にジャニーズ俳優がくることは難しくなります。代わりにフジ系日曜21時に入ってきたのは金曜23時に放送されていた『メントレG』。

『発掘!あるある大事典II』は打ち切りになりました。裏番組にテレビ東京『ポケモン』があっては、昨年のスペシャル版と同じぐらいのデキならともかく現状は苦しそう。そういうこともあってか、男性俳優として木村拓哉と並ぶ存在である織田裕二に対して『冗談じゃない!』の制作発表の時に伊與田英徳Pが「今作以降も日曜劇場の顔として出続けてもらえたらうれしい」とラブコールしていました。木村拓哉の主演ドラマはだいたいTBSとフジで1年おきにあるので、順当にいけば次にTBSがつくる番の2年後には問題なく日曜劇場に主演できるかもしれません。

『あるある』打ち切りのため、『メントレG』が日曜になり、『ミリオネア』の後に代わりに入ったのは『まるまるちびまる子ちゃん』。この状態が長続きするかどうかは定かではありません。だから『ビューティフルライフ』『GOOD LUCK!!』そして『華麗なる一族』とこの枠で大ヒット作を生み出した木村拓哉主演もない。このメインはTOKIOの5人。

そもそも『メントレG』、今年の1月には放送時間を引っ越すことになっていましたが、引っ越す先は日曜じゃなく木曜19時『クイズ$ミリオネア』終了の後のはずでした。これも急遽企画されたようで、子役は成長するので変更は仕方ないにしても、大人もスペシャル版と同じなのは友蔵じいさんのモト冬樹と戸川先生の笠井信輔アナだけ。この状態も長くは続かない?ただ『メントレG』も日曜21時に来たものの、日曜19時には日本テレビ系に『ザ!鉄腕!ダッシュ!!』があってTOKIO全員集合がかぶるし、今のところ視聴率は日曜のゴールデンタイムとしてはイマイチ。

西本智実

西本智実、にしもと・ともみ。指揮者。1970(昭和45)年、大阪市生まれ、34歳。大阪音大作曲科卒。ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院へ留学。ショスタコーヴィッチと親交があったイリヤ・ムーシンらに師事。
 98年京都市交響楽団でチャイコフスキーの『悲愴』を指揮し日本デビュー。99年出光音楽賞受賞。日本フィル、東京フィル、東京交響楽団など国内主要オーケストラを指揮して、近年はチケットがすぐに完売する人気。02年ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”の首席指揮者、04年5月チャイコフスキー財団ロシア交響楽団の芸術監督・首席指揮者に就任。同年9月、本文中のオペラ劇場で3つ目のポストを得た。
 今月1日、西本が指揮するロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”のライブDVD第2弾「ボレロ 火の鳥&展覧会の絵」(キング)をリリース。チャイコフスキー記念モスクワ音楽院大ホールで昨年5月に収録された華麗な指揮が堪能できる。

【東洋人初、ロシア国立オペラ・バレエ劇場主席客演指揮者に】
この1カ月で、ロシアと日本を3往復した。かの地の住まいは、帝政ロシア時代の栄華が重厚な壁に刻まれたサンクトペテルブルクのオペラ劇場の中にある。部屋で着替えて、中庭を抜けると、すぐ指揮台だ。「『オペラ座の怪人』の気分です。朝、目覚めると練習の歌声が聞こえてきて、なんだか学校にいるみたいですが、とても気に入ってます」今年9月、ムソルグスキー記念サンクトペテルブルク国立アカデミックオペラ・バレエ劇場の首席客演指揮者に迎えられた。何とも長い劇場名だが、旧レニングラード国立歌劇場として世界に知られる。ロシアの国立オペラ・バレエ劇場に東洋人が就任するのは初めてだ。「劇場の総裁室へ案内してもらったとき、ナポレオンのマークが入った椅子を見つけて、感激しました。ロシアにとってフランスは敵国でしたが、貴族の中にはナポレオンを崇拝するグループもいて、譲り受けたそうです。そういうものが残っているところが好きです」

【“男前”の飲みっぷり】
歴史好きで、愛用の手帳には、以前からナポレオンの絵葉書をはさんでいる。将軍だったナポレオンが、怖気づく傭兵の先頭を切って、ひとり敵に向かう場面だ。「つらいとき、ながめていると勇気づけられるんです」留学時代を含めロシアは9年目になる。民主化の過渡期を肌で感じ、「オンタイムでは、まだお話しできないこともある」という激動の嵐の中、異国のオーケストラを束ねてきた。モスクワのオケでは、一時、団員から賃金をめぐるストライキにも遭ったが、「ようやく、国が補償する態勢ができました」。すらりとした長身(167.5センチ)、長い手足を駆使した華麗な指揮ぶりを、宝塚歌劇のトップ女優にたとえるファンもいる。聞けば、飲みっぷりもなかなか“男前”であった。

「強いです(笑い)。楽団に援助をしてくれる方との話し合いなど、交渉ごとが成立したときに、必ずウオツカで乾杯するのが流儀です。55度はあるかな。ブランデーグラスのようなもので、全員が一気飲みを繰り返します。意地でも酔えないな、と思っているうち強くなりました」私見だが、ロシアの楽団や指揮者の音作りというと、強打するティンパニーの音や管楽器の咆哮が、聴く者の腸(はらわた)にズシリと響く豪放磊落さが魅力とばかり思っていた。 来日(帰郷?)中の彼女が振ったチャイコフスキーの『悲愴』を改めて生で聴き、驚いた。最弱音の繊細さや東洋的とも思える無音の“間(ま)”が、むしろ効果的に使われ、ロシア特有の重厚さが、相対的に際立っている。振り子の振り幅が広がる感じだ。

【ロシア的重厚に繊細さ加え】
ロシア人ばかりの客席から、拍手喝采を浴びるDVDのライブ映像に納得がいった。はじめにロシア留学を決意した学生時代を振り返る。「まだソビエトが崩壊したばかり。東側で“冷凍保存”されていた芸術が商業ベースに乗って各国に流れる前に、ここでしか見られないものを見ておきたかった」。記憶をさらにたどる。小学生のころ見た忘れられない光景がある。「声楽家だった母は、ピアノを弾きながら一心に歌ってました。ふだん知る母の横顔ではなく、別の“ひとりの人間”に見えました」譜面はプッチーニの歌劇『トスカ』のアリア。歌詞の意味が分かったのは、ずっと後だ。《私は歌に生き、愛に生きてきたけれど、どうしてこんな悲しい思いをしているのか…》DNAが、ロシアンドリームを後押しする。

岩崎峰子

岩崎峰子、作家。昭和24年11月2日、京都府生まれの55歳。4歳から祇園甲部の芸妓置屋「岩崎」に入り、5歳で政子から峰子に改名。35年に岩崎の幼女となり、40年に舞妓に。翌年から6年間、売り上げトップ。45年に襟替えをして芸妓に。55年に引退。日本画家・甚一郎氏との結婚を機に、絵の修復作業に携わる。花柳界の正しい姿を知ってもらおうと書いた『Geisha,a Life』は欧米20カ国でベストセラーになり、日本語版の『祇園の教訓』も昨年ヒット。今秋、集英社から『祇園の課外授業』を出版した。

【4歳で花柳界へ】
自分のメモが、汚なすぎて読めない。思い返そうとしても、肝心のフレーズがどうしても出てこない。そんなことがしょっちゅうの記者にとっては、異次元に住む人物に見えてくる。「メモなんか、したことあらしまへんで。若いころは、あのお人がこんな話をしはったんは、何年の何月何日−いうことまで、頭に入ってましたんえ。『異常や』言われたこともありましてんけど、訓練でそうなってしもたんですな」4歳で両親の元を離れ、花柳界に入った。舞や生け花はもちろん、歩く動作、茶碗の持ち方にまで厳しい指導を受けた。正しくできなければ容赦なく、扇子ではたかれた。以来、大事なことは、精神を集中させることで覚えてきた。それが15歳で舞妓になってから生きた。客に気分よく過ごしてもらうことはプロとして当たり前のこと。お座敷での会話は、すべてインプットされていった。

【故本田宗一郎氏に「車に地図つけはったら」】
抜群の記憶力で40年前までをたどり、著したのが『祇園の課外授業』。最も興味深かったワコールの創業者、塚本幸一氏との出会いを聞いた。「幸ちゃんはね、オレはパンツ屋だあーって、いっつも大声出していた。お姉さん方によく下着を持ってきてくれはったんよ。あるとき、『前で留めるのを作ってほしい』言うたら、『それやっ! 今、考えとったところなんや』って」当時社長だった塚本氏との初対面は、舞妓になりたてのころのことだが、肩書が意味を持たないお座敷では、社長さんも「幸ちゃん」にすぎないのだ。著書には登場しないが、ホンダの本田宗一郎氏との出会いも、鮮明に覚えている。

「『ボクは自転車屋やから、自転車をあげよう』って、言わはるんです。『こけると危ないから』って断ると、『それならバタバタ(バイク)を』と。それも遠慮すると、『実はクルマ屋なんだ。今度、シビックいう新車が出るからあげるわ』って。免許持ってたら、ホンマにくれはったん違うかなあ」そんな本田氏に、注文を出したことがある。「車に、地図もつけはったら、女性も迷わず運転できるのに…」。ほぼ対等のお座敷での何気ない会話から、フロントホックブラやカーナビが世に送り出されたのかもしれない。
29歳で芸妓を引退後は、日本画家で夫の甚一郎氏の影響もあり、絵の修復作業に携わる。祇園のクラブなどに足を運ぶのは年に数回と激減したが、ホステスなどの対応に我慢ならないこともある。そんなときは、元プロとしての魂がうずく。

「舞を踊ったり、カラオケのビデオ映像に登場する人のマネをしたりして盛り上げるの。なんで店の子まで楽しませて、お金を払わなきゃいけないのって思いますよ」ただ、男性をじっくり観察するなかで、時代とともに社長や政治家の顔から、風格が薄れてきたように感じる。同じことは、一般人にもあてはまるという。「夫婦の間では対等であっても、奥さんは、だんなさんを立ててあげんとあきません。子供が見てますから。そうすれば家庭崩壊、親への暴力なんか起こらんと思いますよ」 亭主関白のすすめ? きょうからでも家で威張ってみますか。えっ、もう手遅れですか…

伊藤君子

伊藤君子、ジャズボーカリスト。香川県生まれ。82年初リーダー作品「バードランド」でジャズデビュー。以来、人気ボーカリストとなる。89年、日米同時発売の「フォロー・ミー」は米ラジオ&レコード誌のコンテンポラリージャズ部門の16位に。97年にはモントルージャズフェスティバルへ小曽根真とのデュオで出演した。
 00年発表の前作「KIMIKO」で自身、3度目となるジャズディスク大賞日本ボーカル賞を獲得。今年はアニメ界の巨匠、押井守制作の映画「イノセンス」の主題歌「フォロー・ミー」を歌い大ヒットとなった。

【4年ぶり新作がゴールドディスク】
4年ぶりに発表されたアルバム「Once You,ve Been In Love」(ビデオアーツ・ミュージック)がヒットチャートを駆け上がっている。それでというわけではないが、歩いている姿を拝見するだけで、こちらまでが気持ちがいい。最近、こんな人をさっぱり見かけなくなった。「わたしは全身が楽器。これって便利なようで不便でもある。本当に健康でいなくてはならないから、散歩がウオーミングアップのひとつです。それから、ヨガ、最近は週2回のスイミング。きっかけは吉永小百合さんのCMでした。あんな風に、わたしもクロールで格好よく泳いでみたいと思うようになり、それから、1年半。犬かきしかできなかったのに、今では4種類の泳ぎができるようになりました」 名実ともに、日本を代表するジャズボーカリストという自負がある。

ニューアルバムは、ものすごい趣向が凝らされていた。ビッグバンド、トリオ、そして初の日本語の曲。加えてスイングジャーナル誌のゴールドディスクにも輝いた。アルバムを一聴すれば、オリンピック1回分の空白も簡単に埋まってしまうだろう。「仕事があるというのは、本当にすばらしい。でも、のんびり屋というのか、毎日はダメ。集中力、気力、体力が続かない。でも、のんきに暮らしていると、そのまま引退になってしまうかもしれない。ここが難しいんですよ。わたしにとって、プロデューサーの小曽根(真)さんは、アルバムをつくるとき、欠かせない存在です。生意気に聞こえるかもしれませんが、ゴールドディスクを受賞したのも、自分の中では当然でしょう、と受け止めているんです」

【おごらず、騒がず、勉強の日々】
ジャズを歌う前は、演歌歌手。すでに廃盤になってしまったが、中原マキという芸名でレコードデビューした。ただ、観客を前にするのは、大物の前座ばかり。下積みが、かなり長かった。「歌謡曲を歌うことに、最初から本人があまり乗り気じゃない。23歳でデビューしたのに、18歳です−と言わされましたから。歌謡曲を歌うのに、嫌気がさしていたころ、ジャズをやったらいい、とアドバイスしてもらって…」ジャズに転向してからは順風満帆。ただし、おごらず、騒がず。今日でも暇をみつけてはニューヨークへ勉強に行く。「ひとことでスタンダードというけど、それを歌うにはそれなりの覚悟がいる。品格があるものを歌うのですから、発音や発声など、鉢巻きを締め直さないといけない。詞の意味だって、英語で考えるんです」


【本物ゆえの支持】
先日、ある地方でのこと。公演が終わると、ホールのPAスタッフが近づいてきた。そして笑顔を浮かべながら、伊藤にこう話して、ペコリと頭を下げたという。《おかげさまで久々にいい音楽をやりました。ありがとうございます》街中には音楽の名を借りた雑音が氾濫(はんらん)中。そんな世の中だからこそ、本物が支持されるのだ。今アルバムでは初のビッグバンドが売りだが、記者が感銘を受けたのはトリオがバックのフラジャイル。スティングの名曲に新たな光りを与えた。ボーカルはもちろんだが、ピアノの後藤浩二が実にいい。



友近

友近、タレント。本名・友近由紀子。1973(昭和48)年8月2日生まれの31歳。愛媛県出身。松山の大学に在学中、テレビ局のリポーターとして活躍。
 99年お笑いを目指して大阪・吉本総合芸能学院(NSC)に入学。独特の観察眼から生み出される1人コントやものまねで頭角を現した。
 NHK上方漫才コンテスト優秀賞やABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞など受賞。現在はテレビ5本、ラジオ2本のレギュラーをもつ。彼氏あり。


友近
【陽水カバーでCDデビュー】
高級クラブのママや高校教師、エステの勧誘員…。細かい人間観察にもとづいた“なりきりキャラ”で大ブレーク。中森明菜や黒柳徹子、竹井みどりなど、物真似も器用にこなす芸達者だが、なぜか本人の一押しは「ニワトリの鳴き声」。オチのつもりだろうが、これがまた絶品なのだ。今月17日には、井上陽水の「Tokyo」をカバーして、歌手デビュー。ところが、「レコーディング室にいるのに、どうも違和感があった。すべてがコントの設定に見えるんですよねぇ〜」。幼少から地元のカラオケ大会を荒らしまくり、14歳で全国ジュニア歌謡選抜大会で準優勝。21歳の時には、愛媛県代表として「長崎歌謡祭」に出場した。こうなれば、誰だって歌手志望と思いきや、違った。

「ザ・ぼんちさんや紳助・竜助さんが出ていた漫才ブームを見て、笑いの価値観というか、笑いのツボが似ているなあと思ったんです。それ以来、ずっとお笑い志望でした」地元・愛媛のテレビ局でリポーターを務めるなど“地域限定タレント”として人気を集めるようになっても、頭の中は「お笑い」一本。26歳になって意を決して、お笑いの殿堂・吉本興業の門を叩いた。しかも、ダウンタウンやナインティナインではなく、シュールな笑いで渋い人気の「バッファロー吾郎」(吉本興業の中堅コンビ)のもとで基本を学んでいる。


「観客に媚(こ)びず、面白いと信じてきたことを貫く姿勢が私に合っていた」。このあたりにも、笑いに対する独自のこだわりを感じる。もちろん、売れるまでは、旅館の仲居からホステス、通天閣の職員など数々のアルバイトを経験しているが、いずれも現在のレパートリーに入っているあたり、実益を兼ねた生活費稼ぎだったのかもしれない。

【特に大阪のオッサンは面白い】
お笑い界では今、青木さやかや、だいたひかるらとともに「女ピン芸人」が幅を利かせている。「青木さんはテレビ中心だし、私らは舞台中心。芸風が違うので、気にしていません」テレビでは女性の描写が多いが、ライブでは男性モノもやる通り、実はオッサンの生態の方がやりやすいそうだ。「特に、大阪のオッサンは面白い人が多いですしね。男の人を演じていると、(笑いの神が)降りてくるんですよ」

さとう珠緒

さとう珠緒、1974(昭和49)年1月2日、千葉県生まれ。95年、子供番組「超力戦隊オーレンジャー」(テレビ朝日系)のオーピンク役で女優デビュー。フジ系「スーパー競馬」やTBS系「王様のブランチ」などのキャスターもつとめた経験があり、幅広く活躍。
 現在、日本テレビ系ドラマ「ナースマンがゆく」(土曜午後9時)に看護師役で出演中。

【“嫌われキャラ”でバッシングでも】
プロ野球参入計画で話題になったライブドアの堀江貴文社長とテレビでお見合いしたり、大相撲の高見盛とのデートが話題になったり…。その一方で、女性誌を中心に“嫌われ”キャラでバッシングされもした。「いろいろ書かれましたけど自分の知らないことが、知らないところで動いているみたいな…」テレビでは明るさの一方、「ウルウルした瞳」で見つめるようなブリっ子キャラのイメージがある。しかし実際は素直に自分の考えを話す、見かけ以上に大人の女性といった印象だ。「タレントだから、よくも悪くも興味を持たれるのはうれしいことですよ。(ネガティブなことで)話題になっても、それに無関心を装おうのはよくないと思います」

「正直に言えば、タレントをしていて、いい思いをしていることのほうが多いはずですよ。お土産もらったりすることもあるんだしね」 芸能人だから、特別扱いされるのは当然、といったおごりを感じさる芸能人が少なくない中、こうした姿勢は感心させられる。


【祖父との関係で馬とは縁が…】
「芸能界の仕事は、水商売的というか、消耗する部分がやはり多いです。私は飽きっぽいところもあるから、新しいことにいつも興味を持つようにしていますね」さらりとこう語る彼女が、2年前から取り組んでいるのが、東京電力が提供する光ファイバ・インターネット、TEPCOひかりのコンテンツ「casTY」(http://casty.jp)への出演だ。視聴者とタレントがリアルタイムで交流でき、インターネットの特性を生かしたサイトだ。
「吉本興業の石田靖さん(39)と2人で、視聴者のみなさんから来るメールを読んで、カメラの前でトークをしています」−−というと、かなりのIT通?「いえいえ。(パソコンの)マウスを操作して、写真を大きくしたり、引っ込めたりはできますが、キーボードは苦手です。私はもっぱら“マウスワーク”っていう感じでしょうか」

以前、競馬番組のキャスターをつとめ、今もラジオ日本のサイトで予想をしている。祖父が千葉・船橋競馬場できゅう務員をしていた関係で、幼いころから馬とは縁があったという。「競馬の世界は、なかなか独特でしょ。小さいときに馬を見に行ったら、“しゃべるな、近づくな”って怒られたり…。だから、スーパー競馬の仕事をやり始めた時も、裏にあるドラマまでは分かりませんでしたね。ただ、競馬評論家の故・大川慶次郎さんの言葉で『負けて強し』というのがあって、それが好きなんですよ。レースの負け方を見れば、次の参考になるということですが…」彼女の芸能界での生き方にも、そのまま当てはまる言葉と感じた。


三枝夕夏

三枝夕夏(さえぐさ・ゆうか)
 歌手。1980年(昭和55年)6月9日名古屋市生まれの24歳。
 02年音楽制作プロジェクトdb(デシベル)を背景に、三枝夕夏がソロとして活動を開始。6月に「Whenever I think of you」でデビュー。
 03年10月、6枚目のシングル「君と約束した優しいあの場所まで」でオリコンシングルチャート初登場8位を果たす。同シングルから、4人編成のバンドとして新たな活動を開始。04年3月のシングル「眠る君の横顔に微笑みを」はテレビアニメ「名探偵コナン」エンディングテーマとして現在もオンエア中。
 新アルバム「U−ka saegusa IN dbII」には、愛知県警がすすめる安全なまちづくりイメージソング「Hand to Hand」も収録する。
 所属レコード会社「GIZA studio(ギザ・ステューディオ)」は、大阪に拠点を置きながら、倉木麻衣、愛内里菜、GARNET CROWら人気アーティストを多数輩出し、注目されている。

【デビュー3年目、2枚目アルバム全力】
彼女の顔を知らなくても、子どもを持つパパ、ママなら、「名探偵コナン」や「ウルトラマンネクサス」のエンディングで流れる爽やかな歌声に聞き覚えがあるはず。デビュー3年目にして、人気、売り上げとも急上昇中の実力派ボーカリストである。「生まれ育った名古屋は、やっぱり一番好きですね。食べものもおいしいし、街全体があったかい気がします」ここで、唐突に“名古屋グルメ”を自任する記者からローカル質問。−−じゃ、コメダ珈琲店とか行く?
「行きます。行きます! えっ、コメダって名古屋しかないんですか。初めて知りました」
−−ま、名古屋が中心で、最近は神奈川県内にもできたんだけど

「アツアツのデニッシュパンの上に、ソフトクリームがふわっと、のったメニューが…」−−名物のシロノワールだよね「そう、それしょっちゅう食べてましたよ」スイーツが似合いそうな屈託のない笑顔は、10代でも通りそうだ。「ハイ! 若く見られるのは、うれしいですけど。最近、それを通りこして、デパートで買い物をしていると、『大人っぽい中学生ね』なんて言われちゃうんですよ」

【夢を諦めきれずボーカルの練習始めた】
父の仕事が、ボイストレーナーだったことから、幼いころから音楽に囲まれて育った。母が好んで聞いたビーチボーイズを、いつの間にか口ずさんでいた。「ずっと歌手になりたかったんです」東京のプロダクションに所属して、タレント活動をしたこともあったが、いったん地元に帰った後、「やっぱり、あきらめきれなくて、大阪で本格的なボーカルレッスンを始めました」という頑張り屋だ。デモテープが、プロデューサーの心を射止め、21歳で歌手デビューが決まった。 現在は、4ピースのバンド「三枝夕夏 IN db(イン・デシベル)」として活躍。今年は8月から、シングルの「へこんだ気持ち 溶かすキミ」「笑顔でいようよ」「いつも心に太陽を」を3カ月連続リリースして、いずれもヒットチャート上位に食い込んでいる。作詞はもちろん、最近では作曲も手がける。曲づくりは、必ず手書き。そして、小学校5年生から書き綴ってきた日記帳をときどき開く。「ずっと学校が女子校だったので、女の子同士で交した手紙も全部取ってあります」

17日には待望の2枚目のアルバム「U−ka saegusa IN dbII」が登場する。「この1年。テレビに出たり、秋には東京と大阪で初のワンマンライブを開いたり、いろんなことをやってきた中で、今の自分の一番の部分を出しきりました」ロック魂の歌姫だ。

★ 伸びている生命線が“チャームポイント”
ホッと笑顔になったところで、また唐突な質問を。−−女優でもやっていけそうなルックスだけど、自分のチャームポイントってどこ? 「そうですね…(と手を見つめ)あっ! 私、生命線が長いんですよ。伸びてるでしょう」名古屋パワーは、やっぱり強い。

増田いずみ

増田いずみ、ソプラノ歌手。1967(昭和42年)、宮崎県生まれ。国立音楽大学、同大学院修了。97年、29歳のとき文化庁オペラ在外研修員「フェローシップ」に選ばれる。オペラ歌手はイタリアなどの留学が一般的だが、ニューヨークでジュリアード音楽院教授のダニエル・フェロウ氏に師事し、声楽を学びながら、ハンター大学で演劇を学ぶ。 帰国後の00年ジャズライブが中心の六本木・スイートベイジルで、カジュアルなポップ・オペラコンサートを開き、注目を集める。03年デビューアルバム「ヒール・マイ・ハート」を発表。タイトル曲は映画「クイール」の挿入歌に。現在、コンサートツアー中。「芋焼酎が大好きなんですが、飲み過ぎると声がかれちゃうので封印中です」。

【矢沢永吉の「成りあがり」がバイブル】
型破りのソプラノ歌手が手にした人生のバイブルは、ボロボロになった矢沢永吉の自伝『成りあがり』。しかも、2冊目になる。「1冊目は、中学3年の秋、父の転勤で鎌倉から山口県へ行くとき、友達から贈られました。あの頃は、親の理想の女の子を演じて、洋服も決められたものを着てました。周りにどんなに反対されても、『きっと見返してやる』と自分を貫く永ちゃんは、ずっと心の支えです」クラシックの世界では、裕福な家庭の援助で留学し、華々しい受賞歴を勲章に凱旋デビューする音楽家が多いが、彼女の場合は違う。大学院のオペラ科を修了後、昼は経理事務や電話オペレーターの派遣社員をしながら、夜はレッスンという生活を5年間続けた。「35歳になってもダメだったら、オペラはあきらめようと思ってました」

この間、友人の付き添いで受けた劇団四季のオーディションに合格したり、イタリアのボローニャ歌劇場で新人賞を得たりもしたが、「やりたいことと、どこかが違う」と29歳のとき、文化庁に論文を提出、3年間の国費留学生に選ばれ、ニューヨークに渡る。

【感じたままに…】
名門ジュリアード音楽院の教授に師事しながら、大学では演劇を学んだ。「周りはすごい実力の人ばかり。私には伝えきれないところが、あるんじゃないか、と思いました。外国語で、金髪のカツラをかぶって、歌ばかりが注目され、歌の中から人間の感情の起伏が見えてこない…」そんな留学中、名曲に自分で詞をつけて歌う“ポップ・オペラ”に触れ、劇的に考えが変わった。「永ちゃんの言葉で、『ハートで汗をかいているか』という名言があるんです。そんな歌をうたいたいと思いました。1冊目の『成りあがり』は、ニューヨークに忘れてきちゃったけど、何をやりたいかは、見つかりました」美しい旋律に普段着で感じた気持ちを乗せて表現する。海外では、サラ・ブライトマンやフィリッパ・ジョルダーノの活躍が知られるが、日本でこの分野を切り開いてきた。宮本亜門氏演出によるバーンスタインのミュージカル「キャンディード」(01年)ではプリマドンナに大抜擢、昨年は、巨匠エンリオ・モリコーネが彼女のために書き下ろしたNHK大河ドラマ「武蔵」のテーマ曲「ロマンス」を歌った。

【留学中に“ポップ・オペラ”に触れ「何をやりたいのか見つかった」】
発売されたばかりのセカンドアルバム「レッド・スワン」(ビクター)を聴くと、やりたかったことが伝わってくる。「蝶々夫人」「カルメン」「トゥーランドット」「ドン・ジョバンニ」「白鳥の湖」…オペラ、バレエの大曲の名場面を紡いで、ラテン調、ジャズ風などさまざまなアレンジを加え独自の世界を築く。魅力は、キラキラした透明感あふれる超美声のソプラノだけではない。ときどき、顔をのぞかせるハスキーな地声が、ぐっと感情を盛り上げる。「手元にある2冊目の『成りあがり』は、家のお風呂に落としちゃって、ふやけてます。へこんでいるときは、今もページを開きます」ロック魂の歌姫だ。

★ 人生最高のパートナーも得て…
「プライベートなことですが、実は、12月29日に式を挙げるんです」お相手は文楽界のプリンスとして知られる人気太夫、豊竹咲甫大夫(さきほだゆう)さん(29)で、9月に入籍した。「浄瑠璃とオペラで共演したことがきっかけです。これから音楽的な幅も広がると思います。文楽には、日本人が忘れている所作などが全部入っている。いつか私も『四谷怪談』のような日本の古典を取り入れたオペラを作れたらいいな、と思っているんです」和洋の融合が楽しみだ。

五木ひろし

五木ひろし、歌手。本名・松山数夫。1948(昭和23)年3月14日生まれの56歳。福井県美浜町出身。
 64年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、松山まさるの芸名で歌手デビュー。その後、一条英一、三谷謙と改名。70年「全日本歌謡選手権」(大阪・読売テレビ制作)で10週勝ち抜く。同番組では、中条きよし、八代亜紀、天童よしみらも苦節を乗り越えた。
翌71年、五木ひろしとして「よこはま・たそがれ」を発表。数多くの賞を受賞し、一躍ミリオンセラー歌手となる。NHK紅白歌合戦は、連続33回出場。88年女優の和由布子と結婚。子供は2男1女。
今年9月、作詞家、作曲家8人ずつが16曲を寄せた40周年記念アルバム「おんなの絵本」を発売。最新シングルの「雪燃えて」は、NHKドラマ「最後の忠臣蔵」の主題歌に。今月2日から28日まで、大阪・新歌舞伎座で公演中のスペシャルコンサートでは、「40周年にちなんで、1ステージで40曲うたいます」。


五木ひろし
【ドラマ「最後の忠臣蔵」の主題歌「雪燃えて」熱唱】
右手の拳をぐっと握り締める。モノマネでもおなじみの歌唱スタイルには、意味がある。「リングにはい上がって、目に見えない敵と戦う気持ちでした。その精神が今日まで歩いてこれた僕の原動力です」 芸名を3度変え、挫折を繰り返した末、たどりついたリングは、プロとアマが渾然となって真剣勝負が繰り広げられた伝説のオーディション番組「全日本歌謡選手権」。円形テーブルのような舞台に立ち、1周する間に、勝ちか負けか、冷徹な審判が下される。プロ歌手になった当初の6年間は辛酸をなめ続けた。小銭が底つき、机の中から出てきたフジテレビの社員食堂の食券で、3日ぶりの食事にありついたこともあった。

「これで負けたら歌手を続けることをあきらめよう」と背水の陣でのぞんだ「−歌謡選手権」で、見事、10週勝ち抜きの栄冠を獲得。作詞家の山口洋子に見いだされ、五木ひろしとして「よこはま・たそがれ」で、世に出る。虚空をつかむように拳を握って歌う五木の様を山口洋子は、「ファイティングポーズ」にたとえた。山口の紹介で門をたたいた最初の所属事務所は、日本に初めてキックボクシングを広めた野口修会長のボクシングジム「野口プロ」と、拳には縁がある。「減量して苦しんで、耐えるだけ耐えて、スパーリングして。それでも負けるかもしれない。でも、応援してくれ、観にきてくれる人がいる。だから1枚でも多く売りたい。どの世界にもあてはまることです」

【「休んだらボクの席がない」と走り続け】
五木自身こうしたエピソードは、著書でも語っているが、右手に力をこめる別の事情を今回は、そっと明かしてくれた。「実は僕、左の握力が弱いんです。もともと右利きなんですが、中学のとき、ちょっとオートバイでイタズラしましてね。ひっくり返って、左のひじを折ってから、おかしくなったんです」それは、図抜けた歌唱力と強運、それに名声−と何もかも手中にした五木の唯一の弱点といっていいかもしれない。「だから、ギターや三味線を弾くときに、弦を抑える左手の力が、右手ほどあったら、もう3段階はうまくなっているはず。力がいるチェロなど弾くと特に、こたえます。ゴルフもそう。握力がある右手の力を抑えるのが大変なんです(笑い)」

あらゆる楽器に通じた五木だけに、歯がゆいのだろう。やんちゃ時代の話を披露するサービス精神はさすがのショーマンシップである。 かつて勝新太郎から「1年ぐらいアメリカに行って、ゆっくり吸収したらどうか」と言われたこともあるそうだが、「1年といわず、10日休んだら、ボクの座る席がない」と走り続けてきた。芸能生活40周年。やりたいことは、まだまだ山積している。「新しい歌はもちろん、大先輩たちが作った名曲を少しでも橋渡ししたい。古賀政男先生が、演歌の原点である古賀メロディーを確立され、吉田正先生が、それを大衆歌謡に昇華させた。この秋に出した吉田メロディーのアルバムも、今後のコンサート曲目に加えます」次のリングへ、挑戦は続くのだ。

田畑智子

田畑智子(たばた・ともこ)女優。1980(昭和55)年12月26日京都府生まれの23歳。小学校6年のときにオーディションに応募し、93年映画「お引越し」のヒロインに抜擢されデビュー。数々の新人賞に輝く。00年NHK朝のテレビ小説「私の青空」の主演で全国区人気に。向田邦子ドラマの常連。今年は、NHK大河ドラマ「新選組!」で近藤勇の妻役を。舞台「夜叉ケ池」(東京・PARCO劇場の後、11月6日愛知厚生年金会館、同9−14日大阪のシアター・ドラマシティ)。映画は、公開中の「隠し剣 鬼の爪」(山田洋次監督)にも出演するなど幅広い活躍だ。

【本当に怖かった】
作家、梁石日氏の父親をモデルに在日朝鮮人一世の破天荒な生涯を追った小説『血と骨』が映画化され、6日公開される。凶暴極まりない主人公、金俊平がまさに主演のビートたけしに乗り移ったかの迫力。田畑は、娘の金花子役を気丈に演じながら、崔洋一監督から「カット!」の声がかかった途端、たじろいだ。「本当に殺されるかもしれない−たけしさんが、恐ろしくて涙が出て止まらなくなりました。自分でもびっくりするほど震えてました。怖く感じることができて良かったです」スタッフによると、たけしは、撮影に備え2カ月前から筋トレ、プロテインで肉体改造し、現場では、あいさつ以外の言葉を極力交さず、演技に没頭したという。家族に暴力をふるい、家が傾くほど暴れる。湯のみをバリバリ噛み砕く。ウジのわいた肉をむさぼり食う…。金俊平が醜く見えるほど、凛とした花子のシーンが観る者の一時の救いとなる。

「やろうと思えば、もっと泣きわめくこともできたんでしょうが、耐えて耐えて、きれいな顔のまま死んでいく。私はハナちゃんが汚く見えないように心がけました」小さめの声ながら、田畑は、しっかりした口調で話す。たけしの役も怖いが、崔監督ももっと怖かったのではないか。「厳しい方とうかがっていましたが、すごく優しくて、『お前はお前のままでいい』といわれました。デビュー作では、監督から名前も呼んでもらえませんでしたから、ちょっと成長したかな(笑い)」

【11年ぶりの映画】
血と骨」をロケ中のビートたけし、崔洋一監督、振り出しの映画「お引越し」を撮った故相米慎二監督は、育ての親と言っていい。「何もお芝居を知らなくて、タコとかバカとかいわれてました。なかなかOKが出なくて、家に帰りたくて泣きました。今思えば、何があっても耐えられるのは相米さんのおかげです。11年ぶりに映画に出るからには、恥じない仕事をしようと思いました」田畑は京都・祇園の老舗料亭に生まれた。幼いころから祖母に礼儀作法を教わったという。もともと芯はしっかりしているのだ。「とくに言葉遣いに厳しくて、古い京都弁を大切にするよう、しつけられました。だからでしょうか。私、今どきの若い子って苦手なんです」20代の女優の言葉とはとても思えない。

「ひとりで歩くのが好きで、休みの日に、下北沢あたりで人間ウオッチングするんですが、『マジ、ヤバイ』とか、聞こえてくると、何てしゃべり方しているの!って。私って今風じゃないんですよ〜」息苦しくなって、3日以上の休みがあると京都の実家に帰ることにしている。「ほっとしすぎて、必ず風邪を引いちゃうんです。結婚話ですか? 全然ないですよー。両親からは、『まだまだ働け』っていわれてます。自分が不器用で、他に向いている仕事があるんじゃないかと思っていた時期もありましたが、ようやくお芝居が楽しくなってきました。相米監督が生きていたら、『お前、やってるな』って言ってくれるかな」

夏川りみ

夏川りみ(なつかわ・りみ)歌手。本名・兼久りみ。1973(昭和48)年10月9日、沖縄県石垣市生まれの31歳。独身。ちびっこのど自慢で優勝を重ね、中学1年で第10回長崎歌謡祭グランプリ獲得。NHKのオーディションでは、審査委員長の故藤山一郎氏が「40年に1人の歌手」と評した。
 89年12月「星美里」名で歌手デビュー。3枚のシングルを出すもヒットに恵まれず帰郷。那覇で姉の飲食店を手伝いながら歌っている間に評判を呼ぶ。99年「夏川りみ」として再デビュー。01年発売の「涙そうそう」が沖縄からブレーク、翌02年NHK紅白歌合戦初出場。日本レコード大賞金賞など受賞多数。
 04年全国コンサートツアーの集大成として、11月30日NHK大阪ホール▽12月1日愛知県芸術劇場▽同17日東京・中野サンプラザホールが控える。

【健康法は食べ・飲み・眠ること】
豚肉、豆腐、ゴーヤに、熟成した泡盛…長寿王国・沖縄のスローフードが見直されている。「すごく食べて、飲んで、寝るのが私の健康法なんです。去年はコンサートツアーで日本列島を3周、今年も軽く1周以上は回ってきましたが、本番5分前まで食べてて、いつも舞台監督に怒られるんです。アハハ」ふっくら笑顔で、明るく告白する夏川が歌ううたは“スローソング”と名付けたいところだ。じっくり親しまれる息の長さは、並じゃない。 発売して3年目の「涙(なだ)そうそう」は、25日付オリコンシングルチャートで62位にランクインし、通算124週目のトップ100入りを達成した。中島みゆきの「地上の星」(181週)、杉良太郎の「すきま風」(147週)、千昌夫の「北国の春」(137週)に次ぐ歴代4位と、ロングセラー記録を更新中である。

【コンサートに老若男女集い…】
コンサート会場に集うファンは、若いカップルからサラリーマン、家族連れ、そして妊婦!と幅広い。「涙そうそう」と並んで人気が高い「童神(わらびがみ)」は、沖縄を代表する女性歌手、古謝(こじや)美佐子が、愛娘とやがて生まれ来る孫へのプレゼントとして作った癒やしのうた。こちらも“胎教にいい”とすっかり定着した。「やさしさが伝わるようなコンサートを心がけています。気持ちよく眠ってくれてもいいんです」心にしみる沖縄ソングに、一番前の席に陣取ったネクタイ姿の男性が、オイオイ泣き出すことも。そうかと思えば、「元気のいいうたでは、『起きてよー!』って呼びかけて、ノリノリの踊りのコーナーも用意してるんですよ」というから、なかなか忙しい。

沖縄では、めでたい席で、必ず飛び出す「かちゃーしー」という手を使った踊りを夏川が、身ぶり手ぶりで指導する。「“かちゃーしー”って、かきまぜるって意味なんですが、会場全体の幸せをかきまぜる気分で、一体化するんですよねー」この秋リリースした3枚目のアルバム「風の道」では、沖縄から“アジアの夏川”へのステップアップを予感させる。中国から女子十二楽坊を成功させた作曲家の梁剣峰をはじめ、韓国、モンゴルのアーティスト、さらに小椋佳、宮沢和史、ゴスペラーズら人気作家が競ってオリジナル曲を作った。

【故郷で買ったランプを灯し】
「私の出身地、石垣島からは沖縄本島より台湾の方が近い。音楽でつながっていければいいな」3年ぶりのインタビュー。一番変わったことを聞くと、「部屋が広くなった!」。下積みが長かっただけに、本当にうれしそう。「上京したばかりのときは1Kだったのが、3LDKになりました。旅から旅で、東京にいるのは数日間ですが、たまに帰るとホッとします。石垣島で買ったシャコ貝のランプを灯して、お香を焚きながら、三線(さんしん)を弾くと、疲れが取れて、またやるぞー!って気分になるんです」オジサンにも、その元気を分けてほしい。

佐藤琢磨

佐藤琢磨(さとう・たくま)F1ドライバー。1977(昭和52)年1月28日生まれの27歳。東京出身。身長163センチ、体重60キロ。和光高校自転車部の2年の時にインターハイ優勝。早大自転車部でも96年全日本学生選手権優勝。
97年に中退し、鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラに入学、主席で卒業後に渡英した。00年より英F3参戦。01年は日本人初のシリーズチャンピオンを獲得。02年にジョーダンホンダからF1参戦、鈴鹿で5位入賞。03年はBARホンダのサードドライバーとなり、鈴鹿だけ急遽レースに出場して6位入賞。04年はヨーロッパGP予選で日本人最高位記録の2位、USGP決勝で日本人14年ぶりの3位表彰台に立つ。英国在住。独身。

【「F1で勝つ」】
「行けぇタクマ!」 F1日本グランプリが開かれた鈴鹿サーキットは、かつてのF1ブームをほうふつさせる熱気にあふれた。10日の決勝には過去最高の15万6000人が詰め掛け、BARホンダの佐藤琢磨(27)に熱い声援を送った。「(4位は)悔しい。本当に残念です」鈴鹿では過去最高の4位入賞を果たしながら、琢磨の表情は冴えなかった。昨年と一昨年は5、6位で、本人も周囲も歓喜していたことを思いだし、記者は琢磨の成長ぶりを改めて認識した。「F1で勝つこと」が目標の琢磨には、表彰台など立って当たり前、手前で足踏みしているヒマなどないのだ。


【頭が良くて正直】
「鈴鹿に来たのは10年ぶり、もちろん佐藤琢磨さんの応援にです。彼の魅力? インタビューなどではすごく冷静で頭が良いのに、走るととても戦闘的で、そのギャップがたまらないですねぇ♪」パドックで琢磨のサインをゲットした20代の女性は「もう最高!」と顔を上気させていた。佐藤琢磨は、ここ数年眠っていた日本のF1ファンを目覚めさせた。鈴鹿はBARホンダの帽子やシャツを着た老若男女であふれ、その人気ぶりは、あの中嶋悟や故アイルトン・セナの全盛期をしのぐ勢い。ファンが「日本人がF1で勝てるかも」と期待したからだ。

【タクマにはすべてがある】
いったい佐藤琢磨と過去の日本人は、なにが違うのか?ベテランの英国人F1ジャーナリストに聞くと、こう答えた。「ナカジマはテクニックはあったが、若くなかった。アグリ(鈴木亜久里)は頭は良かったが、速さは普通。ウキョー(片山右京)はすごく速かった。でも、少し思慮にかけた。トラ(高木虎之介)も速かったが、チームとコミュニケーションが取れなかった。タクマにはすべてがある。間違いなく日本人で最高のドライバーだ」F1ジャーナリストの津川哲夫氏が、こう付け加える。「佐藤琢磨は海外でも人気で、外国人記者にまで『俺がタクのナンバーワンサポーター』と胸を張る奴らがいる。アグレッシブな走りに加えて、流暢な英語でメディアにもファンにも誠実に対応するプロだから、速く、頭が良くて、オネスティ(正直)だという評価が確立した」同じくF1ライターの川喜田研氏も「最近はコース上での追い抜きはリスクが大きいと攻めないドライバーが大半だが、佐藤琢磨は“前のクルマを抜くことがF1ドライバーの仕事”だと、皆に思いださせ、佐藤琢磨の走りが欧米でもF1人気を盛り上げた」と指摘する。

かつて、中嶋のF1挑戦がブームを巻き起こし、野茂英雄の米メジャー挑戦も日本中の注目を集めた。そして今年、イチローは安打世界記録で日米の野球ファンを熱狂させた。今度は琢磨が…。8月のハンガリーGP。予選3位だった佐藤琢磨が、「明日シューマッハーを抜けるか?」とプレスに問われ、「ナッシング・イズ・ポッシブル(不可能はない!)」と言い放った度胸もピカイチ。今季最終戦のブラジルGP(24日決勝)で、どんな走りを見せてくれるのか。

米倉涼子

米倉涼子(よねくら・りょうこ)女優。1975(昭和50)年8月1日、神奈川県生まれ。92年8月、高校2年の時に、「第6回国民的美少女コンテスト」審査員特別賞を受賞。その後7年にわたってキャンペーンガールやCM、ファッション雑誌のモデルとして活躍。99年6月に“女優宣言”をし、翌2000年1月、「恋の神様」(TBS系)でデビュー。02年4月の「整形美人。」(フジテレビ系)で初主演。現在、来年秋放送の、NHK放送開始80周年記念スペシャルドラマ「ハルとナツ 届かなかった手紙・ブラジル移民物語」の収録にも臨んでいる。


米倉涼子
【10月14日からドラマ「黒皮の手帖」主演】
2000年1月のドラマデビュー以来、ずっと出演が途切れない。昨年はNHK大河ドラマ「武蔵」でヒロイン・お通を演じ、名実ともにトップ女優のひとりである。現在、14日放送開始の主演ドラマ「黒革の手帖」(テレビ朝日系、木曜夜9時)の収録が進行中だ。松本清張原作のサスペンス作。巨額な金を横領した女子銀行員が東京・銀座のクラブ経営でのし上がっていく様を描く。銀行員時代に手にした“情報”を記した手帖と自身の美貌(びぼう)を武器に、男たちを翻弄させる原口元子役。


悪女”を演じるわけだが…。「確かに今までにない役柄で、自分と主人公のスタンスが違います。元子は常に裏側で何かを考えるタイプ。引出しがたくさんある女…」地味なOLから一転、夜の世界で成功する女の一代記をサスペンスタッチで描くのか。「いえ、1回目でもう銀座に店を開くまで見せちゃうんですよ。あとは、夜の世界を仕切りながら、次々と登場する金持ちの男たちとバトルです」

制作サイドでは、夜の世界を描くだけに、着物やドレスなど豪華衣装も見どころのひとつに挙げている。「着物の場面は多いですね。モデル時代は着物を着ていても止まっていればよかったのですが、ドラマだと常に動いていないといけない。立ち居振る舞いも洋服とは違いますが、やっと慣れたところでしょうか」 幼時から20歳までバレエで鍛えた伸びやかなスタイルも着物姿の下に封印か。

【銀座のクラブで“悪女”の勉強】
また、夜の世界を知るために、銀座の高級クラブにも足を運んだ。「ホステスの方と実際に話してみて、彼女たちの、この世界でのプロ意識というものをすごく感じましたね。いろいろな話をうかがいましたが、実際の本心までは聞けなかったような気もします」鋭い観察眼が演技にも反映されそうだ。ドラマの主演、いわば座長のようなものだ。そのあたりも、「視聴率が気にならない、といえばうそになりますね。やはり責任を感じます。小娘みたいな私を、周りが引っ張ってくれたのも、共演者やスタッフに恵まれたんだと思います。でも、もう対等にやっていかないといけないんだって思いますよ」。

【責任ひしひし感じ……】
今後も女優一本やりで行く覚悟か。「芝居は大好きだし、やっていても楽しいんですが、ずっとやるかは分からない。次にどうなるか、ということが分かったということがない。一生のテーマだと思っています」これまでドラマなど映像中心にやってきたが、やはり「舞台を経験したい」という。「劇団に入ったりして“下積み”をしたいんです」ちょっと意外に思えるが、一生かけてやる覚悟だからこそ、言えることだろう。

【来年は三十路−】
さて、来年は三十路。今年は、昨年「武蔵」で共演した市川海老蔵(26)との交際も取りざたされたが…。「もちろん、いいお友達です。でも、彼は歌舞伎の世界の人。その伝統の中で生きてきたスタンスを持っている。その点は、芸能界の常識で生きている私とは違う面も感じます」「私自身、30歳という節目の年に違った何かをやりたい気持ちでいっぱいなんです」新たな挑戦がこれからも続きそうだ。

モト冬樹

モト冬樹もと・ふゆき) タレント、ミュージシャン。1951年5月5日、東京都生まれの55歳。本名は武東裕男。小学校から東京の名門私立暁星に通い、その高校時代、同級生のグッチ裕三と仲良くなり、互いにこの道に。78年にウガンダ・トラ、島田与作とともにコミックバンド「ビジーフォー」を結成、人気に。84年に解散後、グッチとともにものまねブームに乗って、コロッケ、清水アキラ、栗田貫一らと共に「ものまね四天王」と称される。モトはさだまさしや長渕剛のまねを得意とした。
 父親が産婦人科医の家庭に育つが、実兄の歌手でタレントのエド山口とともに、家業を継ぐことはなかった。
 趣味はゴルフ。「百十の王って言われてるの。(スコアが)110を切れない。でも、ある日突然、うまくなれるって思ってやってるんだ」

モト冬樹
【自称“芸能界一の人見知り”】
 「ラクに楽しく、無理しない」。これをモットーに、30年以上を芸能界で過ごしてきた。 「自分では“芸能界一の人見知り”って思ってるんだよ。元々はバンドマンで音楽やってるうちに『ぎんざNOW!』で受けてコミックバンドになっちゃった。オレじゃないなって部分にもいつの間にか慣れちゃった。でも、これだけやってこれたっていうのは、向いてないようで向いてたってことなんだろうね」
そして、笑いつつ、頭に手をあててやろうとしているのは「モト・ヅラッガー」である。

公開中の初主演映画「ヅラ刑事」(河崎実監督)で、犯人を自身のカツラを投げ飛ばして逮捕するヅラ刑事・源田初男を好演している。ウルトラセブンの必殺技「アイスラッガー」にヒントを得ているのは言うまでもない。「いかレスラー」「日本以外全部沈没」などの奇作で知られる河崎監督のメガホンだけに、こっけいなことを真剣にやるほど増幅するバカバカしいおかしさが満載だ。

「監督はオタクっぽいんだけど、アニメと特撮と若大将が大好きな少年みたいな人。ヅラを飛ばしてやっつける刑事なんて、コンセプトがはっきりしてるじゃん。迷いがないから、こっちも河崎マジックにはまっちゃった感じだね」出演依頼を受けたときから、「オレのところに来るべくして来た企画。こんなくだらないのやるヤツいないだろ」と本人もノリノリで演じたのは、本編で確認いただきたい。で、モトさんご自身のヅラ経験は?

【戸籍まっしろ、お先真っ暗】

「いや、ないよ。蒸し暑いのは嫌いだからね」−と天然で勝負だ。「オレは主役の横で光る、がんばるっていう役回りだと思ってきたけど、自分がその立場に立つとはね。だからって気負いはなかったね。ウガンダ・トラとか、イジリー岡田とか気心の知れた共演者も多かったから」さて、芸能界では幅広い人脈を持つことで知られるが、未だに独身…。「そうだよ、戸籍まっしろ、お先真っ暗だな」でも、モテるはず…。「女を見る目がありすぎるのかな。正直、ここまで来てて、妥協したくないっていうのはあるんだよ」結婚願望はある、と?
「うん、よく女房や女の悪口言うヤツいるじゃない。なら、別れりゃいいじゃないの。結婚ってお互いのためのもんだからさ。オレの場合は、やっぱり理想を低くしてまでは…っていうのは−ある」「結婚できない男」でもないでしょ。

「おお、あのドラマ見てたよ。阿部寛クンいい芝居してたな。でも、オレはあの男みたいに偏屈じゃないよ。この女と一緒になるより、ひとりがいい、その波が合ってるっていうことかな…」こう淡々と語るのは、「何事も無理しない」というモットーとともに、「6−7くらいできるのを3くらいに見せていればラクに楽しく生きていける」という人生哲学そのものにも重なって見えてくる。

メントレGの葉加瀬太郎

葉加瀬 太郎(はかせ たろう、1968年1月23日 - )は、大阪府吹田市生まれのヴァイオリニスト・ミュージシャン。エイベックス所属。妻はタレントの高田万由子。
京都市立堀川高等学校音楽課程卒業、東京芸術大学音楽学部器楽科ヴァイオリン専攻中退。4歳からヴァイオリンを習い始め、東京芸術大学の学生で結成された『クライズラー&カンパニー』の中心人物として音楽界に登場。

クラシックやポップスといったジャンルの垣根を越えて、壮大で心地よい音楽で人気を博すが、1996年に解散。

その後、作曲家・ヴァイオリニストとして高く評価され、アート・リンゼイ・プロデュースにより『watashi』(1997年)でソロデビューを果たす。1996年10月からのセリーヌ・ディオンのワールドツアーに参加し注目を浴びる。

ジャズやボサノヴァ、ラテン、その他様々な民族音楽をクラシックと溶け込ませたような楽曲を奏でる。 また、打ち込みの音と生音とを組み合わせた楽曲を手がけ、新たな音世界を形成した。

1999年、タレントの高田万由子と結婚。なお、葉加瀬太郎は、再婚した母親の連れ子として葉加瀬家に入ったのだが、その後、母親が離婚して葉加瀬家を出ていたこともあり、高田との結婚を機に、高田家へ養子に入った。

2004年、中島美嘉の楽曲「朧月夜〜祈り」(および同名のミニアルバム)をプロデュースし、紅白歌合戦に伴奏で出演した。

2006年4月には、関西テレビの報道番組「スーパーニュースアンカー」のテーマ曲「Beyond the Sunset」を石坂慶彦と共に手がける(葉加瀬太郎・石坂慶彦共同作曲、石坂慶彦編曲)

2006年、志方あきこの2ndアルバム「RAKA」に一曲参加。

2007年3月、ゆずとコラボで「春風 meets 葉加瀬太郎」発売。

メントレGのみのもんた 

みの もんた(本名:御法川 法男(みのりかわ のりお)、1944年8月22日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、実業家。1967年4月から1979年9月まで文化放送社員。社員時代のほとんどの期間をアナウンサーとして業務を担当。東京都世田谷区、宮城県栗原郡鶯沢町(現・栗原市)出身。立教高等学校(現・立教新座高等学校)、立教大学社会学部卒業。神奈川県逗子市在住。血液型はA型。

現在の日本を代表するテレビ司会者であり、世界一メディアでしゃべり続けている男性として非常に有名である。2006年11月28日には、「1週間で最も長時間(21時間42分)、テレビの生番組に出演する司会者」として、ギネスワールドレコーズの認定を受けており[1]、ギネスワールドレコーズ2006年版には、「世界一テレビでしゃべり続けている男」として掲載される見込みである。また、水道メーター製造・販売会社ニッコクの社長でもある。この他、日本火消し保存会顧問や東北福祉大学客員教授も務めている。

徳光和夫、伊藤勉は大学放送研究会の先輩にあたる。古舘伊知郎と久保田光彦(元テレビ東京、現フリー)は大学の後輩。政治家の御法川信英は遠縁。

愛称は『みの』『みのさん』『みのちゃん』。ただし『みのちゃん』と公の場で呼ぶのは和田アキ子と徳光和夫ぐらいである。子供は2男1女がいる。愛犬はミニチュア・ダックスフントのテュフォ・フォーレ。

産経新聞に報道局社会部記者として入社するが、フジサンケイグループの新人研修後にAMラジオ局の文化放送に転属し、アナウンサーとなる(1967年4月入社、当初はニュース専門だった)。同期のアナには落合恵子などがいる。そして、ラジオ・野球中継ベンチレポーターの草分けで、深夜放送『セイ!ヤング』の初代パーソナリティー(1969年6月〜1973年3月まで担当)として、若者の教祖的存在[要出典]になる。

ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『全国ポピュラーベストテン』の前身)では、オープニングで「♪みのみの〜、もんた、みのもんた」と、独特の節まわしでリスナーの関心を惹きつけた(高橋小枝子とDJを担当)。

後に、『みのもんたのワイドNo1』、『ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜』等を担当し、文化放送と同じくフジサンケイグループに所属するフジテレビの番組にも出演。オールスター水泳大会の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される。

1979年9月に文化放送を退社。父親が経営するニッコクに勤務した。その傍ら、東海ラジオでニュース担当の契約アナウンサーも務めた。一時は東海ラジオへの番組出演も打診されたが、本人は「文化放送と東海ラジオの現場の雰囲気は違うから」と言って、断っている[要出典]。

その後『プロ野球ニュース』の週末版にてキャスター業に復帰し、現在では、最もレギュラー番組の多い司会者の一人である。

ゴールデンタイム

メントレGの前身の「メントレ」の開始から7年半を経て、2007年春の改編で、満を持してのゴールデン昇格となることが決まった。
当初は『クイズ$ミリオネア』の後番組として、木曜日19時枠に移動する予定だったが、捏造問題から打ち切りとなった『発掘!あるある大事典II』に代わって、日曜日21時台への移動に変更になった。この日曜日午後9時枠が、もともと制作局だった関西テレビからフジテレビに枠返上されることになったため。なお木曜19時枠の新番組は『まるまるちびまる子ちゃん』に決定。
これにより既に放送中の「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)とあわせて、TOKIOのメンバー全員が出演するレギュラー番組が日曜日に集中することになる。また城島茂・山口達也・国分太一の三人のTOKIOメンバーで城島はラジオ番組「城島茂のどっち派?!」(TBSラジオ金曜24:00〜25:00)と山口は「おネエ★MANS」(日本テレビ土曜17時30分〜18時00分)で特に国分太一に至っては、土曜日に「オーラの泉」(テレビ朝日系、土曜19時57分〜20時54分)、「解体新ショー」(NHK総合テレビ土曜22時~22時30分)と、G帯番組とP帯番組の2本番組がスタートするため、週末土曜・日曜の夜は出ずっぱりであり、それに既存のレギュラーであるぐるぐるナインティナインの人気コーナー「ゴチになります!」のコーナーがある場合もある。前者の2人は金・土・日の週末の夕方・夜・深夜番組に出演、後者の1人は金・土・日の週末の夜の番組に3日間続けて出ることになる。
この枠でのフジテレビ制作番組は1973年10月に21時台から22時台に移行した「ラブラブショー」以来33年半ぶりである。
変更になった背景には、『あるある大事典II』の単独冠スポンサーであった花王が打ち切りと同時にこの時間の提供を降板、スポンサー確保のために三菱電機筆頭提供番組である「メントレG」を持ってきたという見方がある。なお、花王は「メントレG」の裏番組となるTBSの「恋するハニカミ!」で1社提供をしている。また、2007年4月から移動する日曜日午後9時枠でも、やはりTBSが放送している「日曜劇場」のメイン提供の1つとなっている。このため、花王側が2月から「水10!」の花王CM枠を90秒に拡大(原則クレジット自粛。但し特番の時はクレジットあり)、また4月以降は「スリルな夜」と「まるまるちびまる子ちゃん」、「土曜プレミアム」の筆頭スポンサー(土曜プレミアムは90秒スポンサー)となったが、「スリルな夜」だけはスポンサークレジットは非表示である。これは裏番組「恋するハニカミ!」を提供しているため。
また、関西では、深夜時代に裏番組で「探偵!ナイトスクープ」に直接ぶつかるために、終始視聴率が低枠していたため、これを解消する意味もあったと思われる。

楽屋訪問

メントレGのクイズ楽屋訪問その週のゲストの楽屋前の廊下からゲストの私物や私服などを披露するコーナー。2002年10月から開始。このコーナーはオープニング後に放送されており、ゲストの声や顔、名前に加工処理がなされているため、この時点では誰かは分からない(次回予告でもゲストの顔と声を加工処理を施しており、同じ手法だが、公式ホームページの次回予告や一部のテレビ雑誌ではゲストの正体が見られる)。

また、楽屋前の廊下で収録されているため、他番組の収録や打ち合わせに来ていた有名人が偶然出演することがよくある(中には確信犯的に狙って出演する人もいた)。2007年3月までは、このコーナーの5回出演すると、ゲストに呼ばれるという設定もあった。

ゴールデン進出後は、国分と山口の"今、気になるお笑い芸人"を呼ぶ「呼んじゃった」のミニコーナーが登場した。

基本的に国分と山口が担当しているが、他のメンバーが出演することもある。(例:ゲストが憧れの女性タレント、TOKIOにとって重要な人、たまたま通りかかった有名人の要望など)

メントレGのポイント
2007年4月のゴールデン進出とともにスタート(内容自体は深夜時代のトークコーナーの拡大リニューアルしたもの)。それまでのフリートーク、ゲストのエピソードやヒストリーの紹介に加え、ゲストの人生に大きな影響を与えたエピソードや運命を決定付けたような瞬間などのターニング・ポイントを「Gのポイント」(NHKの『その時、歴史が動いた』における「その時」とほぼ同意義)としてスポットをあて、その時のエピソードや心境を中心にトークを繰り広げるコーナーである。また、ゲストのプライベートに迫るための密着取材が放送される。

メントレGレストラン
2000年10月に始まった名物コーナー。支配人の国分太一(支配人を国分が務めるのは、国分の持ち込み企画だからである)が、ゲストの大好物の料理を1品ずつ試食し、他のメンバー(城島茂、山口達也、松岡昌宏、長瀬智也)がゲストの食べたい料理が何であるかを心理戦で当てるゲーム。当初は「メントレレストラン」というタイトルだったが、2002年10月より「メントレGレストラン」と改題し、セットや国分支配人の衣装もリニューアルされ、ルールも多少改正されている。2007年4月からは新たなルールとして「Gのスプーン」が登場する。

このコーナーの目的は、「ぐるぐるナインティナイン」(日本テレビ)の企画「ゴチになります!」で、国分が料理を食べる姿が視聴者に好評であることから、彼の食事シーンをメントレGでも放送し視聴率を獲得することにある。したがって、心理戦の模様やゲームの勝敗などよりも、国分の食事シーンに重点を置いた構成となっている。国分がおいしそうに食べるので、お腹の空き具合によっては怒り出すゲストもいる。稀にTOKIO4人から国分に対して、不満や愚痴を言ったり、もどかしさから八つ当たりをしたりもする。

2000年10月のリニューアル第1回と2007年4月のゴールデン第1回ゲストはいずれもみのもんた。

TOKIOのメントレG

メントレG』(メントレ・ザ・ジャイアント)は、フジテレビで毎週日曜日21:00-21:54(JST)に放送されているTOKIOがレギュラーのトーク・バラエティ番組である。地上デジタル放送ではハイビジョン製作(連動データ放送及びワンセグを放送していない)。
2007年3月30日放送分までは、毎週金曜日23:00〜23:30に放送されていた。

1999年10月8日、「料理の鉄人」の後番組として「三菱電機サイエンスジム メントレ」のタイトルで放送開始。メントレとは、mental training(メンタルトレーニング)の略で、精神の訓練を意味する。TOKIOがメインとなり、ゲストに著名人を呼んで心理テストやゲームなどを行う形式のバラエティ番組として登場。独特の裏声で話す「HIROSHI」が「ハイ皆さん注目〜」「それではメントレスタートッ!」などの台詞でナビゲーターを務めた。その後2000年4月7日より「三菱電機サイエンスジム メントレG(ザ・ジャイアント)」に改める。この番組タイトルはプロレスラー・アンドレ・ザ・ジャイアントのもじり。なお、TOKIOは「LOVE LOVEあいしてる」の「プリプリプリティ」のコーナーに出演した際に同番組出演者篠原ともえからこの改称を知らされた。しかしTOKIOメンバーたちはなぜか素っ気ない態度を取っていた。

「G」となった当初はメントレ時代の形式(心理テストとトークのみ)を踏襲するとともに、ウサギ型のマスコットキャラクター「ココちゃん」(声の出演:一龍斎貞友)がナビゲートしていたが、同年10月6日からはゲストとのトークと料理ゲーム「メントレレストラン」を行うという内容に変更された。さらに、2002年10月4日からはオープニングコーナーの「クイズ楽屋訪問」が開始し、現在も続く3コーナー構成となった。この時期から視聴率が毎週15%前後で安定するようになり、またTOKIO人気と番組の安定感もあり、準ゴールデンタイム(ノンプライム)の番組としては長寿の人気番組となり、更に裏番組だった「ウンナンの気分は上々。」(TBS系)を終了に追い込んだ。

当時の視聴率は関西地区では『探偵!ナイトスクープ』(ABC)に押されていた(平均視聴率は、全国的に約12〜14%前後だったが、関西のみ約6〜8%という状況)ために低迷していたが、それ以外の地域では安定していた。

番組スポンサーは当初から三菱電機の1社提供だったが、2003年10月3日から三菱電機を含め複数社の提供に変更、この際TOKIOによるタイトルコールも「メントレG」に変わった。

レギュラー放送とは別に過去の放送総集編を中心に据えたスペシャル版「メントレスーパーG!」として、2004年9月22日・2005年4月11日・2006年4月10日の19:00〜20:54に放送された。ゲストは1回目・菅原文太、2回目・ヒロシ、3回目・唐沢寿明と南海キャンディーズ。3回目の放送ゴールデンタイムスペシャル視聴率は同時間帯トップで裏番組に大差を付ける19.8%を記録した。更に、2007年3月23日(ゲスト・荒川静香)にはレギュラー放送最高視聴率の20.1%を記録した(なお、この直前には「世界フィギュアスケート選手権2007東京」が28.9%を記録している)。

2007年4月15日より日曜21:00〜21:54に移行し、ゴールデンタイムに昇格した(その経緯については後述)。また、同日16:00〜17:25には番宣番組として「今夜9時から新装開店メントレGの裏側全部見せますスペシャル!」が放送された。

満を持してのゴールデン昇格であったが、2007年4〜6月の平均視聴率は11.9%(関東地区)と振るわず、ゴールデン昇格前の金曜23時台よりも低下している(2007年1〜3月期の平均は13.8%)。ほとんどの回で裏番組の「行列のできる法律相談所」(NNN加盟局)、「日曜洋画劇場」(一部系列局除くテレビ朝日系)、 「日曜劇場」(TBS系)を下回り、日によっては1桁を記録し「NHKスペシャル」(NHK総合)、「日曜ビッグバラエティ」(テレビ東京系)と拮抗する場合もあった。この時間帯の前番組「あるある大事典II」よりも低下しており、今後の改善が望まれる。



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