西本智実

西本智実、にしもと・ともみ。指揮者。1970(昭和45)年、大阪市生まれ、34歳。大阪音大作曲科卒。ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院へ留学。ショスタコーヴィッチと親交があったイリヤ・ムーシンらに師事。
 98年京都市交響楽団でチャイコフスキーの『悲愴』を指揮し日本デビュー。99年出光音楽賞受賞。日本フィル、東京フィル、東京交響楽団など国内主要オーケストラを指揮して、近年はチケットがすぐに完売する人気。02年ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”の首席指揮者、04年5月チャイコフスキー財団ロシア交響楽団の芸術監督・首席指揮者に就任。同年9月、本文中のオペラ劇場で3つ目のポストを得た。
 今月1日、西本が指揮するロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”のライブDVD第2弾「ボレロ 火の鳥&展覧会の絵」(キング)をリリース。チャイコフスキー記念モスクワ音楽院大ホールで昨年5月に収録された華麗な指揮が堪能できる。

【東洋人初、ロシア国立オペラ・バレエ劇場主席客演指揮者に】
この1カ月で、ロシアと日本を3往復した。かの地の住まいは、帝政ロシア時代の栄華が重厚な壁に刻まれたサンクトペテルブルクのオペラ劇場の中にある。部屋で着替えて、中庭を抜けると、すぐ指揮台だ。「『オペラ座の怪人』の気分です。朝、目覚めると練習の歌声が聞こえてきて、なんだか学校にいるみたいですが、とても気に入ってます」今年9月、ムソルグスキー記念サンクトペテルブルク国立アカデミックオペラ・バレエ劇場の首席客演指揮者に迎えられた。何とも長い劇場名だが、旧レニングラード国立歌劇場として世界に知られる。ロシアの国立オペラ・バレエ劇場に東洋人が就任するのは初めてだ。「劇場の総裁室へ案内してもらったとき、ナポレオンのマークが入った椅子を見つけて、感激しました。ロシアにとってフランスは敵国でしたが、貴族の中にはナポレオンを崇拝するグループもいて、譲り受けたそうです。そういうものが残っているところが好きです」

【“男前”の飲みっぷり】
歴史好きで、愛用の手帳には、以前からナポレオンの絵葉書をはさんでいる。将軍だったナポレオンが、怖気づく傭兵の先頭を切って、ひとり敵に向かう場面だ。「つらいとき、ながめていると勇気づけられるんです」留学時代を含めロシアは9年目になる。民主化の過渡期を肌で感じ、「オンタイムでは、まだお話しできないこともある」という激動の嵐の中、異国のオーケストラを束ねてきた。モスクワのオケでは、一時、団員から賃金をめぐるストライキにも遭ったが、「ようやく、国が補償する態勢ができました」。すらりとした長身(167.5センチ)、長い手足を駆使した華麗な指揮ぶりを、宝塚歌劇のトップ女優にたとえるファンもいる。聞けば、飲みっぷりもなかなか“男前”であった。

「強いです(笑い)。楽団に援助をしてくれる方との話し合いなど、交渉ごとが成立したときに、必ずウオツカで乾杯するのが流儀です。55度はあるかな。ブランデーグラスのようなもので、全員が一気飲みを繰り返します。意地でも酔えないな、と思っているうち強くなりました」私見だが、ロシアの楽団や指揮者の音作りというと、強打するティンパニーの音や管楽器の咆哮が、聴く者の腸(はらわた)にズシリと響く豪放磊落さが魅力とばかり思っていた。 来日(帰郷?)中の彼女が振ったチャイコフスキーの『悲愴』を改めて生で聴き、驚いた。最弱音の繊細さや東洋的とも思える無音の“間(ま)”が、むしろ効果的に使われ、ロシア特有の重厚さが、相対的に際立っている。振り子の振り幅が広がる感じだ。

【ロシア的重厚に繊細さ加え】
ロシア人ばかりの客席から、拍手喝采を浴びるDVDのライブ映像に納得がいった。はじめにロシア留学を決意した学生時代を振り返る。「まだソビエトが崩壊したばかり。東側で“冷凍保存”されていた芸術が商業ベースに乗って各国に流れる前に、ここでしか見られないものを見ておきたかった」。記憶をさらにたどる。小学生のころ見た忘れられない光景がある。「声楽家だった母は、ピアノを弾きながら一心に歌ってました。ふだん知る母の横顔ではなく、別の“ひとりの人間”に見えました」譜面はプッチーニの歌劇『トスカ』のアリア。歌詞の意味が分かったのは、ずっと後だ。《私は歌に生き、愛に生きてきたけれど、どうしてこんな悲しい思いをしているのか…》DNAが、ロシアンドリームを後押しする。

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