岩崎峰子

岩崎峰子、作家。昭和24年11月2日、京都府生まれの55歳。4歳から祇園甲部の芸妓置屋「岩崎」に入り、5歳で政子から峰子に改名。35年に岩崎の幼女となり、40年に舞妓に。翌年から6年間、売り上げトップ。45年に襟替えをして芸妓に。55年に引退。日本画家・甚一郎氏との結婚を機に、絵の修復作業に携わる。花柳界の正しい姿を知ってもらおうと書いた『Geisha,a Life』は欧米20カ国でベストセラーになり、日本語版の『祇園の教訓』も昨年ヒット。今秋、集英社から『祇園の課外授業』を出版した。

【4歳で花柳界へ】
自分のメモが、汚なすぎて読めない。思い返そうとしても、肝心のフレーズがどうしても出てこない。そんなことがしょっちゅうの記者にとっては、異次元に住む人物に見えてくる。「メモなんか、したことあらしまへんで。若いころは、あのお人がこんな話をしはったんは、何年の何月何日−いうことまで、頭に入ってましたんえ。『異常や』言われたこともありましてんけど、訓練でそうなってしもたんですな」4歳で両親の元を離れ、花柳界に入った。舞や生け花はもちろん、歩く動作、茶碗の持ち方にまで厳しい指導を受けた。正しくできなければ容赦なく、扇子ではたかれた。以来、大事なことは、精神を集中させることで覚えてきた。それが15歳で舞妓になってから生きた。客に気分よく過ごしてもらうことはプロとして当たり前のこと。お座敷での会話は、すべてインプットされていった。

【故本田宗一郎氏に「車に地図つけはったら」】
抜群の記憶力で40年前までをたどり、著したのが『祇園の課外授業』。最も興味深かったワコールの創業者、塚本幸一氏との出会いを聞いた。「幸ちゃんはね、オレはパンツ屋だあーって、いっつも大声出していた。お姉さん方によく下着を持ってきてくれはったんよ。あるとき、『前で留めるのを作ってほしい』言うたら、『それやっ! 今、考えとったところなんや』って」当時社長だった塚本氏との初対面は、舞妓になりたてのころのことだが、肩書が意味を持たないお座敷では、社長さんも「幸ちゃん」にすぎないのだ。著書には登場しないが、ホンダの本田宗一郎氏との出会いも、鮮明に覚えている。

「『ボクは自転車屋やから、自転車をあげよう』って、言わはるんです。『こけると危ないから』って断ると、『それならバタバタ(バイク)を』と。それも遠慮すると、『実はクルマ屋なんだ。今度、シビックいう新車が出るからあげるわ』って。免許持ってたら、ホンマにくれはったん違うかなあ」そんな本田氏に、注文を出したことがある。「車に、地図もつけはったら、女性も迷わず運転できるのに…」。ほぼ対等のお座敷での何気ない会話から、フロントホックブラやカーナビが世に送り出されたのかもしれない。
29歳で芸妓を引退後は、日本画家で夫の甚一郎氏の影響もあり、絵の修復作業に携わる。祇園のクラブなどに足を運ぶのは年に数回と激減したが、ホステスなどの対応に我慢ならないこともある。そんなときは、元プロとしての魂がうずく。

「舞を踊ったり、カラオケのビデオ映像に登場する人のマネをしたりして盛り上げるの。なんで店の子まで楽しませて、お金を払わなきゃいけないのって思いますよ」ただ、男性をじっくり観察するなかで、時代とともに社長や政治家の顔から、風格が薄れてきたように感じる。同じことは、一般人にもあてはまるという。「夫婦の間では対等であっても、奥さんは、だんなさんを立ててあげんとあきません。子供が見てますから。そうすれば家庭崩壊、親への暴力なんか起こらんと思いますよ」 亭主関白のすすめ? きょうからでも家で威張ってみますか。えっ、もう手遅れですか…


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