五木ひろし

五木ひろし、歌手。本名・松山数夫。1948(昭和23)年3月14日生まれの56歳。福井県美浜町出身。
 64年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、松山まさるの芸名で歌手デビュー。その後、一条英一、三谷謙と改名。70年「全日本歌謡選手権」(大阪・読売テレビ制作)で10週勝ち抜く。同番組では、中条きよし、八代亜紀、天童よしみらも苦節を乗り越えた。
翌71年、五木ひろしとして「よこはま・たそがれ」を発表。数多くの賞を受賞し、一躍ミリオンセラー歌手となる。NHK紅白歌合戦は、連続33回出場。88年女優の和由布子と結婚。子供は2男1女。
今年9月、作詞家、作曲家8人ずつが16曲を寄せた40周年記念アルバム「おんなの絵本」を発売。最新シングルの「雪燃えて」は、NHKドラマ「最後の忠臣蔵」の主題歌に。今月2日から28日まで、大阪・新歌舞伎座で公演中のスペシャルコンサートでは、「40周年にちなんで、1ステージで40曲うたいます」。


五木ひろし
【ドラマ「最後の忠臣蔵」の主題歌「雪燃えて」熱唱】
右手の拳をぐっと握り締める。モノマネでもおなじみの歌唱スタイルには、意味がある。「リングにはい上がって、目に見えない敵と戦う気持ちでした。その精神が今日まで歩いてこれた僕の原動力です」 芸名を3度変え、挫折を繰り返した末、たどりついたリングは、プロとアマが渾然となって真剣勝負が繰り広げられた伝説のオーディション番組「全日本歌謡選手権」。円形テーブルのような舞台に立ち、1周する間に、勝ちか負けか、冷徹な審判が下される。プロ歌手になった当初の6年間は辛酸をなめ続けた。小銭が底つき、机の中から出てきたフジテレビの社員食堂の食券で、3日ぶりの食事にありついたこともあった。

「これで負けたら歌手を続けることをあきらめよう」と背水の陣でのぞんだ「−歌謡選手権」で、見事、10週勝ち抜きの栄冠を獲得。作詞家の山口洋子に見いだされ、五木ひろしとして「よこはま・たそがれ」で、世に出る。虚空をつかむように拳を握って歌う五木の様を山口洋子は、「ファイティングポーズ」にたとえた。山口の紹介で門をたたいた最初の所属事務所は、日本に初めてキックボクシングを広めた野口修会長のボクシングジム「野口プロ」と、拳には縁がある。「減量して苦しんで、耐えるだけ耐えて、スパーリングして。それでも負けるかもしれない。でも、応援してくれ、観にきてくれる人がいる。だから1枚でも多く売りたい。どの世界にもあてはまることです」

【「休んだらボクの席がない」と走り続け】
五木自身こうしたエピソードは、著書でも語っているが、右手に力をこめる別の事情を今回は、そっと明かしてくれた。「実は僕、左の握力が弱いんです。もともと右利きなんですが、中学のとき、ちょっとオートバイでイタズラしましてね。ひっくり返って、左のひじを折ってから、おかしくなったんです」それは、図抜けた歌唱力と強運、それに名声−と何もかも手中にした五木の唯一の弱点といっていいかもしれない。「だから、ギターや三味線を弾くときに、弦を抑える左手の力が、右手ほどあったら、もう3段階はうまくなっているはず。力がいるチェロなど弾くと特に、こたえます。ゴルフもそう。握力がある右手の力を抑えるのが大変なんです(笑い)」

あらゆる楽器に通じた五木だけに、歯がゆいのだろう。やんちゃ時代の話を披露するサービス精神はさすがのショーマンシップである。 かつて勝新太郎から「1年ぐらいアメリカに行って、ゆっくり吸収したらどうか」と言われたこともあるそうだが、「1年といわず、10日休んだら、ボクの座る席がない」と走り続けてきた。芸能生活40周年。やりたいことは、まだまだ山積している。「新しい歌はもちろん、大先輩たちが作った名曲を少しでも橋渡ししたい。古賀政男先生が、演歌の原点である古賀メロディーを確立され、吉田正先生が、それを大衆歌謡に昇華させた。この秋に出した吉田メロディーのアルバムも、今後のコンサート曲目に加えます」次のリングへ、挑戦は続くのだ。

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。